自分を大切にするため。主語をつけよう ~『わたし』が主役です~

2020/07/29

HPS・メンタル

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少し前にチラ見した本に

『その言葉(考え)の主語はなにか?』

という事が書いてあって、目からウロコがぽろぽろと落ちました。

日常生活で発する言葉や考えに、主語を置いてみたらすごい面白い。

例えば。
 「ご飯どうする?」

真意:自分を含め、家族のご飯をそろそろ食べるか、もしくはどこで食べるかなどの問いかけ。
 
これに主語をつけると。

 「あなたはご飯どうする?」


おおお、すごい他人事感があふれる
主語をつけると、曖昧さがなくりますね。

『どうする?』って曖昧なのが良くないのかな。

合わせて語尾もはっきりしたものに変えてみよう。

 「あなたはご飯なに食べる?」

めっちゃ的確な問いじゃないですか。

自分の事を含めるなら、
「私はご飯〇〇したい」
という別の言葉が必要になりますね。

主語すげぇ。

そんな『主語をつけよう』的なことについて、しっかりと解説している本や記事がたくさんあります。

まだご存じないかたはゼヒ検索を(ズボラですみません)。

とはいえ、主語をつけるという事について、私流の考えをまとめてみました。

ちなみに私の目的は、主語をつけることによって『自分の心や気持ちを守る』ことです。


主語で文句を受け流す


よく、世の中に物申すというか、不平不満をたらたら言う人がいます。

ずっと聞いているとこっちの心が消耗したり。

それに主語をつけて受け流すという私流のやり方です。

私は人の根拠のない蔑みを聞くのは苦手です。

例えば
「ねぇ、あの人キモイよね」

というような事です。

自分は『キモイ』と思わない。

でも話しかけてきた相手が『キモイ』と思っている。

その相手の『キモイ』という思いをあっさり否定もできず、曖昧に「ああー」なんて言葉で済ませたりします。

そこで主語です。

この問いかけを、きちんと作文してみると。

「ねぇ、私はあの人をキモイと思うんだよね(あなたは?)」

となるわけです。
脳内で主語を付け加えてみるわけです。

こうなると、返事がしやすい。
「(あなたはそう思ってるんだね)私はそうでもないな」

なんて、スッと返しやすい。

***以下、ごちゃごちゃ考え書いてます。飛ばして大丈夫デス***

そもそも主語がないと、『私』なのか『あなた』なのかの境目がふわっとしてる。

すると発言者からの同調圧力というか、そういうのがノシっと乗ってきちゃうわけです。

でもどう考えても、この言葉の主語は『私(発言者)』です。

そして、主語が付くと、述語もないとおさまりが悪い。

最初の

「ねぇ、あの人キモイよね」

では述語もふわっとしてる。

主語『私(発言者)』に対応させると、『~と考える・思う』になるはず。

そうすると、単にその人の考えを述べてるだけになるという。

「あなたはそう思っているのね」

と解釈するのが、私なりの受け流し方であります。

***ごちゃごちゃ、ここまで***

主語で一般論的な口撃を受け流す

私がものすごく苦手なもの。

一般論を模した個人攻撃です。

ヤツら、あたかも『一般的にはぁ』みたいな論調で弾を撃ち込んできます。

例えば、すごく気に入った鞄があったとします。

そこにヤツらは、こう言ってきます。

「それもっと若い子が使うものでしょ」

うっせぇ。

と言いたくなります。

そこで主語様の登場です。

「私は、それはもっと若い子が使うものだと思うよ」

だろ? そうだろう? お前の言いたいのは、『お前がそう思う』ということだろう!?

と、肩をつかんで頭がグラングランになるくらい揺すぶりたいです。

あたかも『世のなか皆がそう思っているよ?』という風に行ってくる人、好きじゃないです。

なぜお前が世の中全員の気持ちを知っている?

当然、そんなわけないです。

エビデンスを示せ。

と、心で毒づいてスッキリすることにします。

主語を「わたし」にする



一番大事なのが、おそらくコレ。

自分の考えや言葉に、「わたし」という主語をつける

  • あの人がこう言うから……
  • 周りがみんなそうするから……
  • 家族が良いって言わないから……

などなど、いろいろあります。「わたし」以外の文章。

例えば

「みんなが、女は料理が出来た方がいいっていうから頑張ってる」

だとしたら。

これは、『みんなが言うから、頑張ってる』になります。

そこはかとなく、

『私が自主的にやってるわけじゃないけどぉ、出来た方がいいって言うからぁ、だから頑張ってるの』

感がただよう。

何様?

という感じにもなり兼ねないです。

そしてもし将来、料理が出来るようになったのに何も良いことが起こらなかった場合。

『みんなが言ったから頑張ったのにぃ』

という、ほんと何様? という事態になります。

責任が『人』になってしまいます。

責任をおっ被せられた『人』も被害をこうむります。

が、自分自身にも負の感情が生まれていて、すごくイやな気分になります。

このようなことを回避するために、自分の行動や考えに「わたし」という主語をつけてはどうでしょうか。

「私が出来た方がいいと思うから、料理を頑張る」 

これだと、行動の責任は自分です。

という事は、頑張れなかったときも、頑張って良いことが無かったときも、人への負の感情は生まれません。

ぜんぶ自分のなかで完結するというのは、すごく楽です

失敗したら

『てへ♪ 呑んで寝て忘れよう』

で終わらせることもできるし、成功したら、

『やっぱ私すげぇ』

って、成果を独り占めできるのです。

自分で決めて行動するって、大変そうで一番楽かも。

おわり ~「わたし」で心を守ろう~

以上、私流の『主語をつけて、自分の心と気持ちを守る』方法でした。

私はそれまでは、

「みんながこうするから」
「みんながこう言うから」

ばっかりでした。

それって、本当にキツかったです。

人の目を常に気にするし。
私がどうしたいか、より『人』のことを考えてしまうし。
成果があっても失敗しても、『人』に重きが置かれてしまう。

私がしたいからやったんだ!

これを大事にして、すっきりと過ごしていこうと思います。

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